6年の付き合い

友人が明日から約一週間プラハへ旅行するので、今日東京へ出発しました。私も一度プラハへ行ったことがあるのですが、彼女の旅行については結局何も話しませんでした。


私たちがお互いのためにできることは、お互い干渉しないこと、相手が何を考えようが何をしようが許すこと。積極的にできることはほとんど何もないのだと思う。


「気をつけてね」のひと言も必要なかったんです。彼女の身に何か起きたとしても、それはどこか自分とは関係ない空間の出来事で、何か発言することも悲しむことも私のすることではないんです。私にとって彼女に関することはおそらく風景のようなもので、そんなこともあったねぇと話題にはすれどその中に自分が入り込めるものじゃない。好意も敵意も何も感じない。積極的に距離を縮めようとしてかえって溝を再認識させられてきて、何も干渉しないのがいちばん相手のためだと、数年間の付き合いで辿りついた結論。


1人の人間の中から完全に閉め出されてしまったのだけど、不思議と悲しくもない。彼女と私がそれぞれ自分というものを意識して生きていこうとしたときに、こうなるのがいちばん自然だったのだと思う。お互い交流はなくても、それぞれ平穏に生きていけるのだからいいじゃないか。


これから先も色々な人と出会ってくなかで、色々な関係が成り立ちうるんだと思っていれば、必要以上に肩の力を入れずにすむでしょう。彼女とのことは悲しみでも怒りでもなく、経験として自分の中に積もった気がする。


彼女の気配のある空間もあとひと月弱。それでも、少しは愛情があったようです。幸せになるならそのほうがいいと思うから。